Staffスタッフ

RELIVEの美容師は、薄毛などの毛髪の悩みを解決する専門家です。

益満 千尋(吉祥寺店)
代表取締役

益満 千尋(吉祥寺店)

Profile
美容師歴14年
生年月日1988年2月25日
出身地鹿児島県日置市
趣味野球観戦
自身の悩み骨格 毛量

私たちが持っている知識や技術を生かして、たくさんの人の役に立ちたい。そんな想いから、薄毛に悩む男性のための完全個室美容室・RELIVEをオープンしました。

自己紹介


幼少時代

両親は自営業で牛乳配達やアイスクリーム卸など卸業を営んでいました。自営業の人が親戚に多かったので自分自身もスーツを着るイメージがつかなく小さいながら自分もサラリーマンにはならないだろうなと思っていました。
丸いものが好きでビー玉やコインで一人遊びが好きでした。
出身の日置市は海沿いの町で漁協も砂浜も山も川もあり、自然あふれる町です。実家に帰ると必ず海を見に行きます。たまに帰るといい町だなと思います。



学生時代



小学校は同級生が16人の小さな学校に通っていました。在校生ほとんが知り合いで仲が良く学校に通っていました。小学生の思い出はスポーツ少年団に入り、相撲とバレーボールをプレーしました。当時6年生ながら身長が139cmしかなかった私はどちらの競技も向かず「どうせ僕がいるから負ける」と思いながら競技をしていました。当時から少し冷めた性格だったことを覚えています。熱意と練習が足りなかったです。

中学では同級生も増え全校生徒約300人の学校に通っていました。剣道部に入り生徒会に推薦され真面目な生徒だったと思います。
入った剣道部は部員も少なかったので必ずレギュラーになっていました。元々力もなく、運動もあまりできない私以外、実力ある部員達だったので大会で自分のせいで負けて申し訳なく思っていました。同じ道場で練習していた柔道部が強くいつも表彰されていたので羨ましかったです。
同級生は約100人いましたが誰とでも話せる生徒だったので、同級生はみんな友達だと思っていて楽しく過ごせた記憶があります。

高校は鹿児島市内の私立の工業高校に通いました。剣道部に入り今も繋がりのある友達に恵まれました。学校自体はつまらなくて生徒指導が厳しい環境でした。「他の高校にかよっとけば良かったのかな」と何度も思いましたが、美容師になるきっかけがあり今は通って良かったなと思います。高校卒業するまで坊主だったので自分が美容室に行くことなどありませんでした。



専門時代

なぜ私が美容専門学校に通おうと思ったかというと、親戚に「これからは手に職の時代だ」と言われたことと、高校の友人が美容室に行ってそれに付き添い「こんな仕事もあるんだ」と思ったからです。どうせ美容学校に通うなら一番勉強になりそうな東京に行こうと思い上京しました。
田舎者で少しだけミーハーな私は日本美容専門学校という学校を選びました。理由は校風が自由だったことと『日本』と学校の名前がついていることでした。
高校時代に校風に制限されていた私は、東京に来て自由でオモテもウラもある世界があり考え方が変わりました。
せっかく美容学校に入ったのでできる限り技術を磨き自分なりに頑張ろうと思い努力しました。2年間でいろんな勉強ができて楽しく過ごせました。
この時RELIVE代表の栗田と同じクラスだったのですが、一緒に働くことになるとは当時考えてもなかったです。

就活は厳しく表参道有名店や大型チェーン店、美容学校の先生など数社受けましたが全て落ちました。
絶望を感じていた私は友達に「俺が受けたところ受けなよ!」と言われ、概要など全く知らなかったですがそこに入社できればいいなと思い入社試験に挑みました。
結果的に私の美容師基盤となる会社に入社できました。



アシスタント時代



最初に入社した会社は有名チェーン店。神奈川を中心に店舗展開している会社です。少しだけミーハーな私は、田舎から上京してきたから絶対に東京で働きたい!と思い東京の店舗を希望しました。
1店舗目は成城学園前駅の店舗に入社しました。そこは単価も高く、年齢層も高かったので自分とは少し合わないなと思いながら一生懸命働いていました。
一緒に働いているスタッフは中途採用のスタッフが多かったからかとてもレベルが高く、大変勉強になる毎日を過ごせました。今でも連絡を取ったりしている仲の良い先輩もいます。
過去最速入社半年でスタイリストデビューということも達成しました。
カットコンテストで入賞することもできました。
私は初めてのゴールテープを切ってしまいました。。。



スタイリスト時代



入社半年でスタイリストになった私は次の目標が見つからず、惰性の毎日を過ごすことになります。一度ゴールテープを切ってしまったのでなかなかモチベーションが上がらず挫折していました。
単価も高い店舗なので新規も来にくく、暇さえあればチラシ配り。我慢の毎日。
惰性を脱出するために移した行動は「異動」でした。
異動先でも中途スタイリストが多く仲の良いスタッフでした。新規のお客様も多く自由に仕事をさせてもらえました。カットコンテストも相変わらず出場して頑張っていました。
ただ自分自身の実力が無く、お店の売上も思うような数字を残すことができず店舗がなくなることになってしまいました。
若い私はどうしても東京で働きたくて退社を決意しました。

次に入社したのも大型チェーン店。
私の好きなカットコンテストに強いオーナーが高円寺にいて、高円寺南口店に入社したのですが、2週間で「店舗がなくなります」と通告され、心の中では「また就活か」と思っていました。
フランチャイズ店舗もあり、高円寺は北口にも店舗を構えていたのでそちらに異動することになりました。
北口の店舗はそこそこ広かったのですが、店舗に対してスタッフがキャパ越えしていて思うような働き方にはならず、私含め何人か吉祥寺店に異動しました。
高円寺もいい街だったのですが、吉祥寺はもっといい街で人も集まり集客も申し分ないなと思いながら働いていました。
一緒に働いていた尊敬する先輩がどうやら独立を目論んでいるらしい。自分も誘ってほしいな。そう思っていたのですが、
「まっすーも自分でやりなよ」
この言葉がきっかけで独立を目指します。



個人事業時代



会社を退社した間の4ヶ月は派遣で千葉の原木中山の1000円カットで働くことになりました。
1000円カットでは今までやったことのないお客様の対応に苦戦しましたがすぐ慣れていい経験を積みました。

自分が出したい店はどんな店だろう?と考えました。
私はたくさんのお客様を幸せにしたい!と思い、プチプラでお客様がたくさんいらっしゃる先輩のコネクションで新宿の業務委託サロンで働くことになりました。
新宿のお店では集客力もあり朝10時から夜11時まで週休1日を1年間過ごしました。
たくさん経験させていただき、カットコンテストも出場して結果を残しました。とても刺激的な毎日でした。

新宿で働いている傍ら月1で吉祥寺時代のお客様を吉祥寺の面貸しサロンで対応していました。
面貸しサロンオーナーに「席が空いているから一緒にやろう」と言われ、新宿の店舗を退社後に間借りで26歳の時に『COLO』をオープンしました。

自分でポータルサイトなど契約して運営していたのですが、店舗拡大のため2年でCOLOを移転することになりました。間借りで運営できたものオーナーのおかげです。感謝しています。

おかげさまで移転してから丸6年、たくさんのお客様にご来店いただき2店舗目を考えるようになりました。カットコンテストにも出続け今でも結果を残しています。



これから

今までたくさんのお客様から「僕ってハゲますか?」と聞かれたことが何度もあります。
やっぱり皆さん薄く見えたくないですよね。私もそうです。
私自身びまん性の薄毛と認識しており薄毛が気になるので他の美容室には行けず、悩みを打ち明けられる当店のスタッフに切ってもらっています。
代表栗田も何年も前から薄毛を気にしていて投薬していると話を聞いていました。
今まで他の人に言えなかったコンプレックスを相談できて解決に近づけられる美容師は必要とされている、そう感じました。

私たちが持っている知識・経験・技術でたくさんの人の役に立ちたい、力になりたい。
毎日気持ちが楽になるような美容室を作っていきます。

毛髪のコンプレックスは誰かに相談しにくいものです。
気軽に毛髪の相談に乗り、悩みを解決に導くお手伝いをしたい。そんな想いからRELIVEをオープンしました。

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